2011/10/7 22:59:17
何かを好きだと感じる事が、どんな感覚か、思いだせるだろうか。
強い渇望。
それまで確立してきた何かを失ってもいいと思う程の欲望。
現実を取り巻く全てのものが消え去り、そこに残るのはそう、堕ちて行く快楽。決して抗えない。
私は、恋には無力だ。
「化学物質過敏症」を自認している。
今まで数々の香水を使ってきた。
国内で手に入らなくなり、海外まで手を回して、望みの香りを手に入れた。
エスティローダーのスペルバウンド(束縛という香りで束縛する筈が束縛された)、ディオールのドルチェ・ビータ(私に「甘い生活」なんてふざけている)、ゴルチェ。トレゾァ。and so on...
欲しいものは迷わなかった。
浴びるほどの香りを纏った。
香りこそが自分だと誤認した。
幾つものボトル。幾つもの捨ててきた人生。
そんな私に下されたpunishment
アレルギー
合成香料でくしゃみと鼻水が止まらなくなる。
歩いた後が判ると言われていた私は今、無香料の石けんで洗濯ものと身体を洗い、
アロマオイルとフローラルウォーターの香りに癒されながら暮らしている。
そして、生涯それでいいと思っていた。
なのに、偶然出会う。
優しく、甘く。
どんなに手足を動かしても、何もぶつかるところがない。
暖かい羊水の中。
聴こえるのは緩やかな鼓動。
それは胎内にいるようで。
嗅神経は大脳に直接繋がっている。
私の場合は海馬までの直行だったようだ。
感じるのは脳だ。
狂うのも、喜ぶのも、何かを愛するのも。
脳裏に浮かぶ映像は、誰かと目を合わせて笑った幸せな記憶。
そんな記憶が自分にあった事すら知らない。
全ては香りが作りだす幻想なのか。
初対面の人がつけていたその香水の名を訊く勇気などなく、
端から色々な香水をムエットに吹きつけた。
「甘い」「重い」「ムスク」
ムエットでラストノートまで読める筈はないのだ。
似ているものはいくつかあるけど。判らない。
何しろ合成香料にアレルギーが出るようになって10年以上、香水売り場に近付いてない。
遂に突き止めた。
それはデリス。
「美味しい」なんてネーミング。甘い毒に似合わない。
普段の自分の生活から切り離された、その香りを、私は迷うことなく手に入れた。
何の罪も罰も恐れない。
何故なら私がこの香りを必要としたから。
全ての偶然は大抵必然だ。
トップノートはフルーティで、あれ、イメージが違うと思いますが、
肌の上で成熟した香りは、間違いなく私を柔らかな胎内の記憶で包むのです。
どんなに怖い仕事が待ち受けていても、この香りが感じられれば、全ての人間は元は無力で幼かった事が思い出されます。
そう、ごついおっちゃんも、怒鳴っているおばちゃんも、少し前まではにこにこ笑っている赤ちゃんだった。
そして私も。
変ですね。
胸元にプッシュしても、くしゃみはちっとも出ません。
動物実験していない会社からだけ化粧品を買う主義ですが、確認はまだ取っていません。
EUだからとたかをくくっているのもありますが。
私の指には、母から貰った誕生石入りのカルティエのリング。
愛された記憶なんてものはいつも希薄な癖に、何故か私はそればかりつけたがる。
確認メールは今回は不要かも。
ボトルはカルティエとは思えないほど不細工。
むしろ無愛想な瓶の方が似合う。
多彩な幻想を紡ぐ香りに、装飾など要らないから。
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