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ブルー ドゥ シャネル オードゥ トワレット (ヴァポリザター)
容量・税込価格:50ml・12,650円 / 100ml・16,940円発売日:2010/9/3
2021/12/11 12:17:57
「あの子のーことがー好きなのはー」ブランキー・ジェット・シティの「赤いタンバリン」を爆音でイヤフォンから流しながら、息子の部屋に侵入した。なんかいいジャケットないかなー。彼は昔アパレルでバイトしてたので、服だけはいい物を山ほど持っている。部屋に入った瞬間、若い男特有のムンとした匂いがした。化粧品と体臭が入りまじったような匂い。
若いな。オスの匂いだ。
苦笑しながら新作のダウンをかっさらって出ようとしたとき、不意にチェストの上に並べた香水群が目に入った。見るからに20代男子がつけそうなやつが並んでる。そのラインナップを見て思わず目頭をおさえた。
お前はジェレミーか…。(←香水you tuberな)
気を取り直して、その中から1本取りだしてキャップを外す。ブルードゥシャネルEDT。この部屋に忍び込む度に、こいつのキャップをとってはつけて遊ぶのがルーティーンだ。なぜって?マグネットキャップがカチンカチン音を出して面白いから。しかもブルーのは必ずシャネルマークが正面にくるようになってる。こういう「変なところに力を入れるシャネル」は、自分の「欠落した感性に響くぜ」。
で、いつものようにカチンカチン!取ってつけて遊んでたら、珍しく肌にのせてみたくなった。で、のせてみた。その瞬間、あーやっぱりクールウォーターの亜流だな。そう思った。
シャネルのブルーをつけると、まず最初に感じられるのは、柔らかなアクアティック。海を思わせる波や潮、わずかに海藻の出汁すら感じられる海系ベース香料アンブロキシドの香りだ。そこにすぐクリーミーなクマリンのヴェールがかかってくる。上の方ではピンクペッパーとシトラスのキンとした酸味が鳴り響いている。それはまるで夏の太陽だ。太陽と広大な大海原を思わせるトップ。ラベンダーやミントの清涼感もわずかに添えている。
5分ほどすると、温かみあるジンジャーとベチバーの乾いた草感が感じられてくる。ベチバーは良い物を使っているようだ。スパイスも若干出てくる。キンキンの合成シトラスは次第に消失し、つけて10分ほどで海の香り+桜餅クリーミー+スパイス+ウッディのアコードでミドル香が固定する。
以後、ゆっくり減衰していく展開。つけてから3〜5時間。ラストは乾いたウッディ、イソEスーパーだけがずっと残る感じ。シトラスが消失する以外あまり全体像は変わらず、付けたときと同じような香りのままドライダウン。50mlで10450円。
まとめると
シャネルのブルーは、第一印象がとてもフレッシュでアクアティック、そしてスパイシーに香るメンズフレグランスだ。展開はリニア気味で、ほぼ付けたときの印象のまま移ろってゆく。「万人に好かれる香り」なんて物は絶対にないが、「多くの人が好みやすい香り」というのは確かにあって、例えるならこういうタイプだろう。この手のメンズのアロマティック香水はピエール・ブルドンが作ったダビドフのクールウォーター(1988)が最初で、それ以来、何千何万と模倣レシピ作品が作られ続けているが、トップから香料どうしがきれいにまとまって1つの香りを保っているバランスの良さは、流石の一言に尽きる。技術点と完成度で言うなら、かなりの高得点。
ただし
香りとレシピに目新しさはない。誤解を恐れずに言えば、2000円程度で同様の香りはいくらでも入手可能だ。従って芸術点をつけるならかなり低い。2010年にこのブルーが出たときも「え?ジャック・ポルジュまでこんなん出すの?」と衝撃を受けたほどだ。何しろそれまでの彼は、アンテウスやエゴイストといった、誰にも創れないメンズ香水を創ってきた巨匠だったから。正直この手の香りなら、彼はガスクロや質量分析計を用いてレシピ解析せずとも、3日もあればサクッと作れてしまうだろう。自分が香水に求めているのはそうした物と少し違う。
すべからく凄みのある作品には、誰も歩いたことがないイバラの道を往く「徹底した狂気」が必要だ。自分はそれを求めている。
そういやブランキーも、本来出すつもりがなかった「赤いタンバリン」を事務所から「出してくれ」と頼みこまれてアルバムに入れたんだよな。そしたら爆売れした。多分ベンジーがちょちょいと作ったデモテープだろうに。ジャック・ポルジュも引退寸前だったから、売り上げ貢献にシフトしたのかな。そんなことを思いながら、黒っぽいブルーのボトルを鳴らした。カチン、カチン。その音にベンジーの声が重なる。
「夕暮れどきって悲しいな オレンジジュースとミルクまぜながらつぶやいた」
作りたい物と売れる物って ノットイコールなことが多いよね
そう思って部屋を出た。いつの間にか深いブルーの夕闇が下りた部屋を。
カチン。
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税込価格:-発売日:-
2021/11/20 12:44:06
Cio Cio San。「しおしおさん」ではない。チョウチョウサンと読む。町長さんではない。「蝶々さん」だ。蝶々さんと言えば超有名オペラ「蝶々夫人」の主役、海外では最も知られている日本人ヒロイン「マダム・バタフライ」のことだ。
MDCIパルファムから2015年にリリースされたこの香水には、この悲劇のヒロインの名が冠されている。
浅学にして「蝶々夫人」の名は聞いたことがあっても詳細を知らなかったので、この有名なオペラ作品について調べまくったところ、とても驚き、最後には思わず涙までしてしまった。
ときは明治の長崎。士族の娘として生まれた蝶々さんは、親族や身請け人の死が相次ぎ、若干15才で芸者となっていた。そこでアメリカ海軍兵のピンカートンと出会い、見初められ、結婚の運びとなる。ピンカートンは日本にいる間の現地妻として「一時の愛」とうそぶくが、全身全霊で思いを寄せてくる蝶々さんの真剣な愛に気付きはじめる。
おりしも任期を終えたピンカートンは「コマドリが巣を作る頃には帰ってくる」と言い残して単身アメリカに帰る。周囲は「騙されたのだ」といぶかしむが、蝶々さんは「あの人は必ず帰ってくる」と信じて疑わない。やがて月日が流れ、港にアメリカ軍艦寄港の祝砲が鳴り響く。待ちに待った何年ぶりかの再会。蝶々さんの心は今にも張り裂けんばかりの喜びに包まれる。だが、ピンカートンはアメリカ人の妻を連れて訪れたのだった…。
よくある「あたし待つわ」的悲劇もの。なのかもしれない。けれど、何年も夫の帰りを信じて待ち続け、ときに心配して他の縁談を進める者たちへ怒りさえ向ける蝶々さんの一途さには次第に胸が熱くなる。これがイタリアのオペラ作家、ジャコモ・プッチーニが書き上げた舞台のあらすじだ。劇中第二幕、蝶々さんがピンカートンとの別れの際、「あの人は必ず帰ってくるわ」と歌うアリア「ある晴れた日に」は、心を揺さぶる切ない叙情歌。名曲中の名曲と言われ、あの伝説のオペラ歌手、マリア・カラスの18番にもなったという。
知らぬというのは本当にこわいことだ。そう思いながらMDCIのチョウチョウサンの香りを改めて嗅ぐ。
チョウチョウサンをスプレーすると、はじめに感じられるのはみずみずしいライチの香りだ。まだ幼いながら武士の末裔として凛とした姿勢を崩さぬ蝶々さんの着物姿。その異文化の魅力に心奪われ、たちまち惹かれていくピンカートン。2人のあふれんばかりの思いが、ジューシーなライチの香りで表現されている。
5分ほどすると、ほんのり煮詰めたような甘さと苦味が出てくる。これは柑橘の苦味だ。クレジットによるとユズのようだが、鼻でわかるほど明確ではない。そしてサクラ香水でよく使われる苦味。クマリンをスッとビタースイートにしたような。これらがべっこう飴のようなロースティーな茶の香りとともに出てくる。それでも、トップから感じたライトでフルーティーな気配は変わらない。ユズとサクラとほうじ茶ライクな香りのミックス。蝶々さんとピンカートンが日本で過ごした、短くも幸せな結婚生活がスイートに描かれているようなミドル。そしてチョウチョウサンのミドルはそのまま減衰してゆく。
濃厚な作品が多いMDCIパルファムにあって、このチョウチョウサンは、比較的香り立ちが柔らかく、スイートでフルーティーフローラルな香りが8時間ほど続く作品。次第にジンジャーの温かみが加わって、サクラの香りにロースティーな茶、クール&スパイシーなウッディを取り合わせたような和風イメージの香りでドライダウン。購入は本国MDCIのサイトより可能。
オペラ「蝶々夫人」第3幕。ピンカートンの乗った軍艦が祝砲を上げて長崎に寄港する。ひと晩中、寝ずに夫の帰りを待っていた蝶々さん。しかし夫は蝶々さんが一人で子どもを産んでいたことを知り、激しく自責の念にかられ、彼女の前に姿を見せることができない。仕方なくアメリカ人妻が蝶々さんの元を訪れ、その子を引き取りたいと申し出る。
そのとき、蝶々さんは全てを悟った。これまでたたんでいた心の羽根はずたずたに切り裂かれた。そして自身の愛を全うするために、傍らの幼子に目隠しをし、父親から受け継いだ武士の短刀を自身の喉元に当てた。
チョウチョウサンの柔らかく甘い香りは、夫の帰りを信じて待ち続けていたあどけない少女の横顔に重なる。ピンカートンが出港する際、蝶々さんが「私は蝶になってあの人の軍艦を追いかけたい」と歌うくだりがあるという。
チョウチョウさんの香りが、柔らかなサクラと木の香りになって消えてゆく。2人で見た桜を思いながら、長崎の海を見渡せる丘で、思い人を待つ一人の女がたたずんでいる。
ある晴れた日に。
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2021/8/21 09:38:52
ムワリと暑い夜、どうにも眠れない乾きがあって、キレのあるクールな飲み物が欲しくなった。作ったのはモヒート。グラスに氷を入れ、バカルディモヒートを注ぎ、ソーダで割ったイージースタイル。すりつぶすミントの葉もライムもなかったので、モヒート用フレーバーシロップで香りを増し増しして一口すすった。
あー、うまい。
スーッと鼻から抜けていくミントの爽快感。ライムの爽やかな苦み。そしてホワイトラムの冷たい甘さが身体の奥まで沁みわたった。
モヒートといえば、ゲランオムだな。そう思って引っ張り出してきて、左腕にゲランオムをつけた。2008年、ゲラン5代目調香師ティエリー・ワッサーが、メゾン専属となって初めてクリエイトしたメンズ香水。当時、モヒートの香りをフィーチャーしたことが話題となって世界中で売れた香り。
ただ
爽快感あるクールなモヒートの味に比べると、腕につけたゲランオムはどこかうわついて感じられた。そうだった。ゲランオムは、ミントのクールさがあまり感じられず、どちらかというとホワイトラムの穀物感とホワイトムスクの熱が強い香りだったと思い出した。
もっとクールな感じがないとモヒートに合わないな。そう思ってチョイスしたのは、ロムイデアルクール。ゲランいわく「理想のチャーミングな男性」をイメージした香り。(←は?)2019年にリリースされたロムイデアルシリーズ6番目の香水。このシリーズは毎回「理想の〇〇な男性」という冠をつけて押してくるのが注目ポイントで、シリーズを通して感じられるのは、ハートノートにアーモンドのビターな香りをもってくる点だ。
ではどんな香りかというと。
ロムイデアルクールをプッシュする。いつ見てもミンティグリーンのジュース色がいい。ただ水色ジュースの香水は香り評価が今ひとつなので色でカバーしている作品が多いことは心の中に留めておく。(←言ってる)
吹きつけた瞬間、広がるのはシトラスとハーブのアロマティックな香り。ベルガモットの爽やかさ、オレンジの甘さ。そこにほんのりミント香とグリーンティーライクなハーブが混じっているトップ。
シトラスは配合量が少なく、つけて1分ほどで消失。次第に下からギリリと苦みばしったアーモンドノートが出てきたら香りはミドル。
ミドルになると、スーッと鼻の奥に抜けていく透明感あるアニスの香りが強く感じられるようになる。ミントよりアニスのクールさだ。そしてビターアーモンドの引きこまれるような強い苦み。オリジナルのロムイデアルEDTのアーモンド香は本当に強くて、どこか病院で使われる薬品の匂いっぽく感じるところもあるが、オリジナルに比べるとアーモンドノートは抑えめ。代わりにティーっぽいスッキリしたウォータリーな香りが出ている。このウォータリーな香りとアーモンドノートに、ほのかなオレンジフラワーのふくよかさが混じるミドル。
ミドルが30分ほど続くと、下からパチュリの黒い土っぽさ、ベチバーの干し草な香りが静かに出てくる。全体的なバランスは、アニス&アーモンドの清涼感と苦みが強め、次にティー系ウォータリーのみずみずしさとウッディ系のスパイシー感が同じくらいで出ている感じ。このバランスのまま5〜6時間ほど続いてドライダウン。
全体的に見ると、モヒートを思わせるゲランオムよりもクールで、アーモンドノートの苦味が楽しめるキレのある香り。シリーズで見るとこの6作目の特徴は、ミントとアニスの清涼感をトップに配置しつつ、ミドルでアーモンドノートにウォータリーをプラスした点が挙げられる。オリジナルEDTに清涼感と清冽さをもたせてデイタイムに使いやすくした作品といった風合いに仕上がっている。
モヒートを飲みながらロムイデアルクールの香りを楽しんでいると、2杯目はアマレットを使ったカクテルを飲みたくなった。アマレットは杏仁を使った甘くて苦いリキュール。ロムイデアルじたいがアマレットを思わせるトンカビーンのクマリンを強く持っているせいだろう。一番口当たりがよくて美味しいのは、アマレットをオレンジジュースで割ったイタリアンスクリュードライバーだが、ロムイデアルクールの香りに寄せたくて、アマレットベースでミントジュレップを作ってみた。
グラスにクラッシュアイス。ミントの葉の代わりに少量のミントリキュール。杏仁味のアマレットを注いでソーダで割る。あっという間にアマレットミントジュレップの完成。ひとくちすする。
あー、うま!
心と体が乾いて眠れない夜。クールなミントのカクテル。冷たいアーモンドの香り。お。少しフラつく。いい気分だ。
酔いどれ野良犬、一丁あがり。理想のチャーミングな男性には、どうやら1万光年ほど遠いらしい。
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2021/9/25 11:20:44
秋の夕暮れ。ペールピンクのグラデーションの彼方にきれぎれの雲を見送っていたら、狂おしいほど切ない曲を聴きたくなった。プレイリストから選んだのは
クレナズムの「ヘルシンキの夢」。
ビートの効いたベースの上にロマンティックなギターリフが重なるシューゲイザーロック。ポップで透明感のあるヴォーカルが無機質っぽく、けれど孤独を切り裂くナイフのように胸に迫ってくる。
暮れなずむトワイライトタイム、曲とともに心が夕空の果てにもっていかれそうになる。美しい風景にシンクロするシューゲイザー。このコンピレーションには、心をときめかせる香水も不可欠だ。そう思ってどんな香水が似合うか考えた。
フルーティーやフローラルは、似合いすぎて気持ちが弱くなる。
グリーンは風を感じるけれど、夕景の色にそぐわない。
ならば、秋の夕暮れを思わせる琥珀色のウッディアンバーだ。
セレクトしたのは、メモワゼロンドンのヒュミリタス。
Memoize Londonは、英国キャサリン妃のご成婚フレグランスに選ばれたホワイトガーデニア・ペタルズで一躍話題になったイルミナムから独立したブランド。香りの特徴は、どこか中東風味のウードやローズがそこかしこに見え隠れするフローラルやオリエンタル風の作品が多いことだ。現在、日本での販売店はないようで、公式サイトからネット購入することができる。
白ボトルのヒュミリタス(Humilitas)は、同じ白ボトルにヒューマニタス(Humanitas)というスペルのよく似た作品があって混同しやすい。香調はもちろん異なる。
刻々と変化する夕空のグラデーションが消えないうちに、そう思いながらヒュミリタスを肌にのせた。
プッシュした瞬間、赤い薔薇が開いた。追いかけるように、透明感のあるレザーの香りが重なってくる。プッシュした手首のところがツヤツヤと光っている。高濃度のオイルを使っていることがわかるトップ。
次第にレザーが主張してくる。公式サイトの構成を見る。レザーはない。でもこれはソフトレザー、あるいはウード系の香りだと思う。香料イメージは次のとおり。
トップノート:マンダリン、レモン、ベルガモット
ミドルノート:ジャスミン、リリー、ローズ、サフラン、ナツメグ、ダバナ、パウダー
ベースノート:サンダルウッド、アンバー、ラブダナム、バニラ、バルサミコ、ムスク、パチュリ
この中ではトップのシトラスはほぼ感じられない。最初にふっとローズが香ったと思った瞬間に、ほんのり焦げた洋酒ライクなウードが香ってくる。
夕日が空を焦がしている。「ヘルシンキの夢」の澄んだヴォーカルが柔らかく空気を切り裂いてゆく。
「小さな最果てを見た だれかの描いた絵を見た 震えながらつぶやいた 愛想笑いを覚えた」
ウードの暗い香り。それは頭上から静かにすべりおりてくる夕闇の匂いだ。ヒュミリタスのミドルは、次第にサフランの酸味が穏やかに広がってきて、ウードのベールの陰に隠れていたローズやリリーのくぐもったフローラルをかいま見せる。ウード&ローズ。夕闇に咲いた夕日。
ブルーグレイのシルエットに染まる街。ブラッディオレンジの空。縁を金色に輝かせているきれぎれの雲。確かにこの風景は「小さな最果てだ」そう思った。
やがて空が翳りゆくとともに、ヒュミリタスの香りは次第に温かみを増して肌になじんでゆく。暗くレザリーだった香りが、芳しいサンダルウッドに変わってゆく。つけて30分、黒いビロードをまとっていた薔薇は、クリーミーな茶色い香木の香りになって、空のオレンジブラウンとシンクロしてゆく。
「明日 戻れないの 頭の中見せてほしい 命がけで説明してほしい」
「ヘルシンキの夢」のサビのファルセットが残照の中に吸い込まれてゆく。ヴァニラクリームをまとった香ばしいサンダルウッドが、風景とメロディとともに記憶の中に折りたたまれてゆく。
そう言えばクレナズムの「ヘルシンキの夢」が収録されたアルバムタイトルが「In your fragrance」だったことを思い出す。君の香りに抱かれて、そんな意味合いだろうか。クレナズム最果ての空。心を浸食するかのように香りが肌にとけてゆく。
残映の空。濃いオレンジの光。紫の陰影。その彼方にヒュミリタスは静かに香っている。アンバーの甘さとサンダルウッドの温かみをいつまでも残して。そして今日というなにげない一日が優しく死んでゆく。
ヒュミリタス。つつましくあること。
何の記念日でもない今日という一日。その終わりに出会えた美しい夕映えの空に、今日、命があることの感謝をこめて、美しい歌とたおやかな香りをそっと捧げた。
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税込価格:-発売日:-
2021/10/2 12:51:53
部屋がゆっくり揺れている。湖に浮かぶフローティングコテージだから?確かにそうだけど、こんなに揺れるとは思ってなかった。もう明け方だ。一晩中、気になってよく眠れなかった。
夫は隣のベッドで寝息を立てている。その姿を見やり、女は小さくため息をつく。もう日が昇った。今朝はこのラチャプラパ湖をカヤックでクルーズする予定なのに。こんな調子じゃどうなることか…。
昨夜、夢うつつの中、以前付き合っていた彼の夢を見た。ジャングルの奥、ギャーギャーと鳥が騒ぐツリーハウスのベッドで、彼の息づかいを耳元で聞いていた。その身体の重みと獣のような腕の力に身をよじり、はっと我に帰ったら、涙がひとすじ頬に流れていた。それから眠れなくなった。コテージは静かに揺れていた。心みたいに。
ベッドから身を起こして木の引き戸を開け、湖に浮かぶテラスに出た。まばゆい日射しが鏡の水面に反射して目がくらくらした。足下近くで魚が水面で跳ねて波紋を立てた。両眼に手をかざしながら、そのとき女ははっきりと見た。湖の向こう、垂直に切り立った巨岩が水面に並び立ち、メレンゲをとかしたような白い霧に包まれている姿を。その瞬間、心のさざ波は凪いだ。
夫を起こさぬようにベッド脇に戻ると、バッグから香水を取り出した。エラ・ケイの「カオソックの朝霧」。この日のために持ってきた香水だ。タイのカオソック国立公園。世界最古とされる熱帯雨林のジャングルと、広大なラチャプラパ湖にそそりたつ巨岩や奇岩の絶景が見渡せる地。ここに来てこの香りに包まれることが、この旅の小さな目的の1つだった。
女はカオソックの朝霧をうなじとデコルテと腕とウェストにプッシュした。ぱっと洋酒のような透明な香りが広がり、包まれた。
すぐに香ばしいサンダルウッドが浮かび上がる。それは手つかずのジャングルを思わせる木々の香り。巨大な葉を広げる熱帯植物。ゴムの木から採取する生のラテックスの匂い。スッキリと、けれど柔らかく、朝もやのようにうっすらと香り始める透明なウッディトップ。
やがて5分ほどすると、木の香りが乾いてスパイシーな風情を醸し出してくる。そこからエキゾティックな南国系ホワイトフローラルの香りが浮かび上がってくる。
この花の香はスパイダーリリー。白く長い6本の花弁が蜘蛛の足を思わせる熱帯の植物。別名ヒメノカリス。スパイダーリリーの香りは、ユリのようにちょっとツンとくるスパイシーさをもつスッキリホワイトフローラルのようだ。ガーデニアとのミックスで、クリーミーな気配もふんわり漂っている。
カオソックの朝霧は、このサンダルウッド&クリーミーフローラルがとても柔らかく香るシングルノートの香水だ。濃度はEDPだが香り立ちはとても淡い。深い密林と青い湖面の境界にたゆたう朝霧のように、静謐に4〜5時間ほど香る。
私もこんなふうに穏やかに過ごしたい。この香水と出会ったときそう思った。たくさんの美しい香水が並ぶお店で、自己主張の強い香りを試し続けて疲れたとき、不意に手に取ったカオソックの朝霧。そのライトグリーンの色と静かな香り立ちが心に掛かり、一番気に入ったことを思い出す。
「早いね。あーよく寝た!」
夫はフローティングコテージの揺れなどなかったかのように、少し乾いた声で起きてきた。笑顔で返す。朝霧を遠くに見つめながら、改めていい人と結婚したと思う。穏やかでやさしくてまじめで…
カオソックの朝霧の香りがゆっくりと落ち着いてくる。少しずつ香ばしいサンダルウッドが温かみを増してくる。この香りはソニア・コンスタンが調香した他の作品と比べても、特別香り立ちがひかえめだと思う。彼女はどんな思いでこの朝霧を見つめたのだろう。
「さ。朝食運んでもらうね。そしたらいよいよこの湖をカヤックでクルーズだ!」
シャツの袖に腕を通し、夫がコーヒーを淹れながら言う。ありがとう。マグカップを受け取る。2人でしばしテラスから遠くの島々を見つめる。見つめながら、夫が自分の肌に触れなくなってからもう何年たっただろう、とふと思う。
夫は優しくて温かい。けれどなぜ時折、こんなにさみしいんだろう。
不意に香水をつけた胸のあたりから、アニマリックな気配を感じて身を固くする。夢に見た彼の息づかいを思い出す。心が止まる。日が高く上る。霧がうすくなり始めている。
私の心にも 霧がかかってる この霧も いつか晴れるんだろうか
やがて船が迎えにきた。夫は笑いながら乗りこんだ。眠い目をこすって後に続いた。船は静かに湖面をすべり始めた。
船がゆっくり揺れている。どこからか木と花の香りがしている。
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