






























doggyhonzawaさん
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2025/4/12 13:06:39
その異様な椿を目にしたとき、彼は感嘆した。2本の幹が途中で交わり、一つになって枝を広げている。解説の声を聴く。「こちらが八重垣神社が誇る『連理玉椿』、2本の椿が1つにくっついた大変珍しい木でございます。通称『夫婦椿』と呼ばれ、夫婦和合、授児安産の守り神とされております。」
その神秘的な椿に魅了された彼の名は福原信三氏。(株)資生堂初代社長。ときに1930年頃。昭和恐慌によって大打撃を受けた老舗店の社長は、商売繁盛の願いをこめて自社にゆかりある島根県「出雲大社」を夫婦で参拝した。その際に紹介された場所こそ、件の霊木「連理玉椿」がある八重垣神社だったという。
彼は2本の椿が1本に交わる光景を見ながら、不思議な縁を感じていたはずだ。資生堂が初めて店舗を構えた地が銀座「出雲町」であったこと、明治や大正の頃に「花椿」の香油と香水が大ヒットしたこと、それを受けて自身が「花椿マーク」をデザインし、それがまさに2本の椿の花や葉を描いたものであったこと。
「やはり資生堂と出雲、花椿は切っても切れないご縁がある」そう感じたに違いない。そしてこれ以後、資生堂は出雲との関わりを深め、破竹の勢いで日本の化粧品事業をけん引していくこととなる。
こうしたきっかけとなったのが、資生堂初の香水「花椿(1917)」だ。
この香水は何度か復刻されているが、ここで紹介するのは「花椿オードパルファム(1987)」だ。こちらは87年に花椿会会員に贈られた非売品。フリマでは今も時々見かけるので、探してみるのも一興だろう。
では、どんな香りなのか?
ボトルのふたを外し、びんの口から直接肌に香りをのせる。はじめに感じられるのは、爽やかなグリーンノートだ。弾けるような生っぽい青葉の香り。それは春先の庭園で朝露に濡れた葉を見つめるような爽やかさ。ガルバナムのようなスッキリビターなグリーンの奥に「ああ、資生堂のパウダリーベースだ!」と感じる独特の石鹸系フローラルな白い香りが広がるトップ。
このグリーン系トップは、あのツヤツヤの見事な緑色の葉を思わせるに十分なインパクト。なるほど。確かに椿は赤い花ばかりじゃない。むしろあの美しい緑葉の連なりも大きな魅力だと再確認する香り。
調べてみると、資生堂は1930年代に社長が出雲を訪れて以降、毎年幹部も出雲大社に参拝するようになり、1935年には東京銀座資生堂ビル・資生堂パーラー前に出雲椿(ヤブツバキ)が植えられ、「花椿通り」と呼ばれるようになったという。その一面のヤブツバキの緑、それが花椿EDPのトップではよく香る。
つけて10分ほどすると、グリーンが次第に和らいできたことを感じる。下からパウダリーで優しいフローラルがグングンせり出してくるのがわかる。ほんのりカーネーションのスパイシーさもある赤い花の香り。クレジットに見られるのは、ローズやフリージアだが、ややワックス感の強いローズが強めで、少しアルデヒド調といった風情。その中にわずかにピーチのようなラクトン系の甘さが溶け込み、赤い椿の花びらに触れるような感覚を呼び起こす。そんなミドルになる。このミドルが柔らかく1時間ほど続く。
フローラルがうすらいでくると、キュッと鼻孔の奥に刺さる石鹸調ムスクが感じられてくる。アリサ・アシュレイやジョーヴァンムスクのような清潔系。昔よくあったと思い出すムスキーなラスト。グリーンも花も消えて、湯上がり感の清楚な香りになってくる。このラストがフローラルも感じさせながら2時間ほど続く。最後はパウダリーさも出てきて心地よい。
全体的に見ると、トップ、ミドル、ラストと明確に香りが変化していく調香。香調は、グリーン、フローラル、ムスクと変わる。色調変化は、緑→赤→白。各香料がきれいなアコードを作っていて、シームレス。美しいハーモニーを描いている。各香料の香り方の特徴と持続時間を計算して作られていて、よくできた香水だと思う。
そして椿に思いをはせた福原氏の心を思う。
福原氏は、かつて水皿に浮かべた椿の花をモチーフに資生堂の「花椿マーク」を自身でデザインしたという。その心にはどんな情景が広がっていたのだろう。
静かな水辺。そこに佇む椿の木々。風が吹くたび赤い花びらがひらひら舞い、水面へ落ちる。その瞬間、小さな波紋が幾重にも広がり、湖面はまるで絵画のような静寂に包まれる。遠くには霧が立ち込め、柔らかな光が差し込み、椿の花だけが鮮やかにその「美」を主張する。真っ赤な睡蓮花のように。
2つの椿が寄り添うイニシアル。それは資生堂の誇り。水皿と7つの葉は、7つの海と大陸を超えて日本の「美」を世界へ広げる資生堂の矜持。
それが 幻の花椿の香り。
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