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2018/5/5 22:50:39
ディオールのオーソバージュは、真夏のギラつく太陽をそのままボトルにとじこめたようなオード・トワレだ。肌に吹き付けると、唾液が出そうなレモンシャワーとともに、熱を帯びたリーフグリーンの香りと、灼けた肌のアーシーな香りが同時に漂う。さながら、若き日のアラン・ドロンの出世作「太陽がいっぱい」そのもの。
オーソバージュは、1966年、名調香師エドモン・ルドニツカによってリリースされたディオール初のメンズフレグランス。それは最初にして最大のヒット作となり、今日まで名香としてゆるぎない地位を築いてきた。60年代の欧米でのブレイク以降、今なお老若男女問わず多くの方に愛用され、ベストセラーを続けている。では、オーソバージュとはいったいどんな香りなのか?
トップ。つけたては一瞬、ベースとなっているモス系の湿った苦み、ベチバーの土っぽさがふわっと鼻をくすぐり、メンズ香水独特の匂いをふりまく。いわゆるトニックっぽい香り、男っぽい香りと揶揄されるようなオープニングだ。その後すぐにはじけるようなレモンの香りが広がってくる。ベルガモットとのミックスのようだが、黄色いレモンの酸味がより強く感じられる。そして、そのサワーな感じがその後も続いていく。
3分後、ミドル。レモンのジューシーな香りに、バジルの透明感、ローズマリーのグリーンさ、ラベンダーの清涼感が混じって広がってくる。シトラス&アロマティック。鶏肉のハーブ&レモン焼きの匂いにも似て、温かみが感じられておいしそうな香りになる。このトワレに初めて使われたヘディオンという香料は、単体ではジャスミンっぽいフローラルのようだが、他の香料と合わせることで、きらめきやレモン様シトラスの香りを持続させる効果があるという。確かに、グリーンでサワー感のある香りがトップからずっと続き、大体3〜5時間、つけたところで穏やかに香り続ける。
ラストはかなり低音になり、メンズな雰囲気になる。モス系の湿った苦み、ベチバーの土っぽいウッディにしっかり変化し、シプレのベースが感じられるエンディング。このへんは日本人の女性は苦手だと感じる方も多いかもしれない。もともと体臭が強い欧米の方々のマスキング・フレグランスとして用いられてきたトワレなので、ベースは強いウッディだ。欧米では重厚感があって好まれるラストだが、体臭があまりしない日本人は強い香りを使ってきた歴史もないので、感じ方や好き嫌いは人それぞれだろう。モスやベチバーのラストはクラシカルな印象も強め。ぜひ付けてみてラストまでの変化をきちんと確かめてみてほしいと思う。付けてから6時間前後で自然にフェードアウトしてゆく。トワレにしてはかなり残香性がある方だ。
欧米ではいまだにベストセラーなオーソバージュだけれど、日本では特に女性の評価で賛否両論あるようだ。苦手な方いわく「トニック臭、オヤジ臭」。いやな言葉だなと思う。それでもあえて出したのは、昭和の頃にリリースされた日本のメンズコスメのほとんどの香りが、実はこのオーソバージュに影響を受けて作られていたからだ。男性のヘアトニック、ヘアリキッド、オーデコロン、シェーブローション。それらの多くがこのオーソバージュの香りの模倣、アレンジだったと言っても過言ではない。畢竟、それらを使う男たちの、どれも似たような香りが日本中にあふれた。そして「トニック臭」などという言葉が生まれ、本家のこの香りさえそう呼ばれてしまっているという。そんな皮肉な状況に苦笑せざるを得ない。
皮肉といえば、アラン・ドロンもそうだ。甘いマスクとクールな表情で日本では女性に大人気だった彼だが、本国フランスの女性は「嫌い」と答える方が今も多いそうだ。理由はいろいろあれど、こちらも「ところ変われば好みも変わる」という典型だろう。そんなアラン・ドロンが2009年からデビュー当時の姿で、フランス女性が好きなオーソバージュのイメージキャラを務めているのだから皮肉なものだ。
彼が若き日に主演した「太陽がいっぱい」は、本当に心に残るいい映画だった。原題の“Plein soleil”には、実は2つの意味があると言われている。plein de soleilsであれば「太陽がたくさんある」だが、en plein soleilだとすれば、「太陽がギラギラ照りつける下で」の意味になる。おそらく、双方の意を汲んだ詩的なタイトルを、ということで「太陽がいっぱい」にしたのだろう。
そんな「太陽がいっぱい」のアラン・ドロンは、哀しいくらいに美しく、本物の愛に飢えた表情が印象的だった。だから、今でもこのトワレを時折つけるたび、彼の切ない瞳を思い出す。
オーソバージュ。それは、ギラつく夏の太陽の下、金と権力と愛をいっぱいに求め続けた孤独な青年の野望を秘めた水。
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2018/3/31 10:13:31
夏。蒸し暑い夜、広口のタンブラーにクラッシュアイスを注ぎ、ミントの葉を10枚以上入れてペストルでガシガシ押しつぶすと、野性味あふれるスッとした青い香りが強烈に鼻に突き刺さる。そこに砂糖とライムを入れ、ラムを注いでステア―。ソーダで軽く割れば、熱帯夜をスッキリ過ごせるカクテル、モヒートのできあがりだ。
ここに、そんなモヒートの香りからイメージして作られた香りがある。「香水界の帝王」として長年君臨し続けてきたゲラン。そのゲランの5代目調香師となったティエリー・ワッサーが、就任して間もない2008年にリリースしたメンズのオード・トワレ、ゲラン・オムだ。
ゲラン・オムのリリースは華々しかった。膨大な広告費を用いて、本物の動物たちが森の泉に集う宣伝用トレーラーを制作し、ボトルデザインはイタリアの高名なデザイナ―、ピニンファリーナに委ねられた。LVMH傘下に入って、新生ゲランとしての旅立ちであったことから、業界内外を問わず、この作品には期待と注目が注がれていた。
それがゲラン・オムの出自。では、肝心の香りはどうかというと。
プラスティックの透明キャップを外してスプレーする。つけたて、爽やかな柑橘の酸味。すぐに下からわずかな甘み、涼しげなハーブの香り。そして透明感があるけれど、かすかに苦みやエグみを感じる香りが同時に広がっていることに気付く。これはホワイトラムを模したのだろうか。ベルガモットやライムの香りはわずかで、このスッキリしたアクのあるハーブの香りが強いオープニングだ。
5分後、香りに大きな変化がない。かすかな清涼感あるアニス調の感じが続いている。わずかなグリーンシトラスの割合が2だとすると、残り8割はスッキリとしてややクリーミーなアルコールっぽい香りという印象。ホワイトラムの酔わせるような、ほんのり甘い香りが一番再現されている気がする。そんな香りがずっと続く。付けてから4〜5時間は穏やかに香り続ける。
ラストも大きな変化はなく、穏やかなグリーンハーブにうっすらとウッディが重なったような香りで消失していく。このウッディはシダーやベチバーというクレジットがあるものの、香料の特徴が分かるほど強くはない。ミドルがゆるやかに減衰していくので、ラストまでクリーミーなハーブ系の香りが続く。
このトワレは一度に全ての香料が香り、そのまま続くというタイプの香り方だとされている。確かに大きな変化がないように思う。それなら柔軟剤と同じではないか?とも思うが、当たらずとも遠からず。ティエリー・ワッサーは、ファインフレグランスの未来について、そうしたトイレタリー製品(シャンプー、洗剤、ボディーソープ等の香り製品群)の充実が不可欠だと考えている一人でもある。狙うのは、柔軟剤の香り以上、香水の複雑な香り以下。そのへんのニッチではなかったろうか。香りがキツイとか、香りがどんどん変わるのがイヤ、と言って香水を敬遠する方は存外多い。自分もかつてはそうだった。だが、シンプルで美しい香りを身に付けることに対しては、敷居は低いはず。ティエリー・ワッサーはこのゲランオムで、「誰もが気軽にカジュアルに楽しめる香り」を提案したようにも思える。
「香りは時代と共に変遷する。現代は、さまざまな趣向の香りを日々楽しむ時代だ。」ティエリー・ワッサーはそうインタビューで答えている。彼は変化する時代の波にゲランを合わせる方向へ舵をきったのだろう。もっと気軽に。もっと軽やかに。ゲラン・オムにはそんなメッセージが託されているように思う。男女を問わず、春から夏にかけて気分を上げていきたいとき、オンオフどちらでも穏やかでグリーンな香りを試したいときに使っていけるフレグランスだと思う。
現在、このトワレは廃盤となっており、オード・パルファムが従来の縦長スクウェアボトルでラインナップされている。アビルージュが好きだった彼らしいボトルの揃え方だ。ロムイデアル系がメンズの中心ラインナップになった感があるが、よりくせのない汎用性を求めるならこちらを試してみるといいだろう。ネットではまだまだ普通に入手可能だ。
暮れゆく亜熱帯の強烈なオレンジの日差し。ラテンの人々の熱気と興奮は、夜になってからも冷めることを知らない。町の至るところからサルサの陽気なリズムが聞こえる。キューバの人々はそこかしこで思い思いに踊り、酒を酌み交わし、夜更けまで語り合い、ゆっくりと人生の時間を楽しむ。グラスが揺れるたび、強烈なミントの青い清涼感と唾液があふれるフレッシュなライムの香りがしている。
ゲラン・オムは、そんなモヒートからイメージした穏やかなマスキュリン。現代をクールに、颯爽と生き抜く者たちに捧げられた、アロマティックな香りのカクテル。
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2017/1/13 22:37:04
フレグランスは、女性の美しいファッションに仕上げのひと色を添える。男性の過酷な生きざまに、ひとさじの自信を与える。全ての人に、鮮明な記憶と夢のような情景を思い描かせる。
そしてフレグランスは、人生を旅する者の友となる。
タスカニー・ペル・ウォモは、1984年にリリースされたメンズ・オードトワレだ。タスカニーとは、イタリアのトスカーナ地方を指す言葉で、ペル・ウォモは、英語でフォー・メン。だから「メンズ用タスカニー」という意味だ。
タスカニーのボトルは、トスカーナ地方の州都フィレンツェにあるポンテ・ヴェッキオ(ヴェッキオ橋)をモチーフにデザインされている。緩やかなアーチを描く3つの橋桁と2本の橋脚が形作る空間が、ちょうどこのなで肩ボトルの意匠と重なる。このポンテ・ヴェッキオは、第二次世界大戦を生き延びたフィレンツェ最古の橋として有名だ。また、橋でありながら、その上にはカラフルなアパートメントや宝飾店・貴金属店などがところ狭しと建ち並び、観光客がごった返す人気のスポットになっている。
現在、流通しているボトルは主に2種類あるようだ。1つは2011年頃にリニューアルされた、赤&黒の四角いステッカーが貼られたニューボトル。現在、アラミスを扱っている店頭に並んでいる物だ。もう1つは、それ以前のシンプルなボトルで、ステッカーがなく、ボトル前面下部に黒文字で名前だけが印字されているもの。こちらはヴィンテージボトルと呼ばれ、区別されている。(写真参照)
なぜ区別が必要かというと、香りが異なるからだ。ネットの広告では、ニューボトルについて「香りは以前と変わらない」と表記しているのを見かけるが、実際はかなり違う。ヨーロッパのマニアの間で好まれているのは、断然ヴィンテージボトルの方だ。このクチコミも、フリーマーケットで見つけたヴィンテージ版のものだ。
では、ヴィンテージ・タスカニーの香りはというと。
黒ボタンをスプレーすると、まず広がるのは、芳醇な柑橘のシャワーだ。キラキラのレモン、酸味のライム、そしてシトラスの王、ベルガモットのみずみずしい香気。眼前の空気がリフレッシュされるような、さっぱりとした心地よさが味わえるトップ。
すぐに柑橘ミックスの下から現れるのは、イタリア系コロンによくあるラベンダーの清涼感、モス系の暗い苦み。そして、やはりイタリア系を思わせるミックスハーブの香りが、ぐんぐんせり上がってくる。
アラミスの他のトワレは、ギリギリとした苦みや渋み、ウッディの重厚感がトップから出てくる印象が強いが、タスカニーはシトラス&ハーブの爽快感を打ち出していて、より快活なイメージだ。ミックスハーブの香りは、スッとしたキャラウェイ、暗い甘みのアニス、ややセロリっぽいタラゴン、そして青みを感じるバジルなど。このシトラス&ハーブがスッキリした風になってそよぐミドルが特徴。
やがて、ハーバルな香りの中にソフトレザーやシナモンの雰囲気が感じられるようになるとラスト。この頃にはシトラスは消え、ハーブとレザー、清潔感を感じさせるアラミス独特のムスクがたゆたうラスト。持続時間は4〜5時間。
全体的に、ヴィンテージ版はシトラスの拡散が強く、イタリアの陽光を浴びて育った柑橘やハーブがキラキラと明滅する印象。また、オークモスの暗い苦みがいいアクセントになっている。リフォーミュラではこの特徴が薄く、ややパンチに欠ける。柔らかなレザーノートと、シダーっぽい涼感がミドルから出てくるが、どこかソフトで物足りない。探すなら程度のいいヴィンテージボトルだ。少し熟成されたような黄金色の液体色の。それは、ミドルエイジを過ぎたストイックな男に似合う香りだ。心に優しさと厳しさを兼ね備えた男たちの矜持にふさわしい香りだ。
イタリアの日差し、地中海の青い風、なだらかな緑の丘。どこまでも連なる赤茶色のテラコッタの屋根。きらびやかなヴェッキオ橋の宝飾店。オリーブグリーンに光るアルノ川の流れ。トスカーナには、そんな美しい自然と文化が今なお息づいている。
いつか自分もタスカニーを連れてゆきたい。見果てぬ夢の街へ、まだ見ぬ空の下をともに。
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2016/2/13 16:13:47
バイオレットシロップを使ったそのドリンクを初めて飲んだのは、14歳のときだ。フランスから帰国していた叔父が、ごく親しい者だけで開いたホームパーティーでのこと。そのとき、叔母がふるまったうす紫色のドリンク。思わず、目が釘付けになった。な、なにこれ?
「パルフェ・タムールが来た。さあ、飲もう。」病気を患って以来、アルコールをやめていた叔父が、紫色のドリンクに鼻を近づけ、うまそうに一口すすった姿を今も覚えている。パルフェ・タムールと呼ばれたそのドリンクを口元に運ぶと、それは甘いような苦いような、暗くて湿った花の香りがした。一口飲むと、かつて経験したことのないかぐわしい花の味に、「フランスの人っていつもこんな飲物を飲んでいるのか」と感慨深く感じた。
それがバイオレット・フィズのノンアルコール版だったことを知ったのは、もう少し後のことだ。ソルティ・ドッグやスクリュー・ドライバー、マイタイやチチなどのライトなカクテルが人気の「カフェ・バー」ブームがあった頃。街にはブランド服をまとったソバージュやロングカーリーの女の子たちがあふれていた。
トム・フォードのノワール・オードトワレは、そんな頃をふと思わせるバイオレット・フィズの香りがする。オープニングに使われているほんのりとしたレモンの香りも、このカクテルのレシピになくてはならない物だ。ウッディ&ムスクのベースは柔らかく平凡だけれど、ニオイスミレの暗くひっそりした香りが効果的に使われたフレグランスだと思う。
ノワール・オードトワレ(透明ボトル)は、トム・フォードが2012年に発表したノワール・オーデパルファン(黒ボトル)のコンポジションを受け継ぎながら、2013年に発売された。オーデパルファンよりも軽く、スッキリした雰囲気に仕上がっているのは、スペアミントの清涼感やシトラスとハーブオイルのアクセントを用いているからだろう。そのおかげで、パウダリーなアイリスが感じられるオーデパルファンよりも、ライトで使いやすい雰囲気になっているように思う。
とは言え、あのブラックオーキッドやグレイベチバーなどの初期の作品に比べれば、トム・フォードの作品は、おしなべて軽く、シンプルな構成に変わってきているように思う。それはプライヴェート・コレクション発表の頃から彼が言っている「香りが薄くなったらどんどんレイヤーしていき、1日の終わりには何種類かのブレンドが自身の体から立ち上っているのが好きだ」という言葉からも伺える。つまり、最近の立ち位置は、ジョー・マローンのフレグランス・コンバイニングに近いと言えるだろう。
この作品においてもそれは感じられ、トップに淡いレモンやシトラス&ハーブの雰囲気を感じたかと思うと、3分もしないうちからバイオレットの密やかな香りが主体となる。ニオイスミレをフィーチャーしたものと言えば、ペンハリガンのヴィオレッタがまず思い浮かぶが、あれほどスミレスミレしているわけではない。ほのかに暗く、ややアイリスの白粉っぽさに支えられて上品なイメージだ。とても穏やかで、スッキリしていて心地よいスミレの香り。注意深く背後の香りを感じようとすれば、バラの清涼感も感じられるけれど、全体にうっすらと香る印象。持続時間もオーデコロン並に短く、1〜2時間という感じ。最初から淡く、あっという間に消えていくフィーリング。ラストにはややヴァニラの雰囲気も。
中世フランスにおいて、ニオイスミレはバラとともに高貴な女性から漂う香りの象徴であったという。対して高級娼婦は、ジャスミンやチュベローズなど、蠱惑的でセンシュアルな香りを身に付けることが多く、香りだけでその女性の出自がある程度判断できたそうだ。
ノワール・オードトワレは、淡くて持続時間も短いが、その分、手首やうなじ、デコルテなど、肌が露出している部分に直接スプレーしても周りに大きな影響を与えないほど穏やかだ。
スミレやアイリスの香りは、とがった心を鎮静させ、落ち着かせてくれる意味で、アロマ的な効果も高いと思う。このトワレは、憂鬱とは言わないまでも、何か心に心配事や憂いを抱えているとき、一人になりたいけれど何だかそれも淋しいようなとき、そっと心に寄り添ってくれるような香りだ。特に、男性用にプレゼントを考えている人には、抜群のセンスを感じさせる逸品になるだろう。
パルフェ・タムール。バイオレット・リキュールの仏名の意味は「完璧な愛」。ニオイスミレの香りがするノワール・オードトワレは、静かに、けれど一途に人を愛し続ける人に似つかわしいフレグランスだ。
今はもう、天国の住人となってしまった叔父。彼の豪放な笑い声が好きだった。ノワール・オードトワレの香りに、彼が教えてくれたパルフェ・タムールの味が、今も重なる。
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2016/2/20 23:46:52
東から来たその男は、どこか風を連れているように感じられた。女の心に鳴り続けるアラート。「キケンダ。コノ男ニハ、チカヅクナ。」けれど、その音が高くなるほど、男に惹かれていく自分にあらがえないという思いも増した。激しい警告音は、女の心臓の鼓動そのものだった。
男は粗野で、猥雑で、傍若無人だった。長い髪を無造作にかきあげ、褐色の肌に無精ひげをたくわえ、いつも怒っているような顔をしているくせに、時折見せる笑顔は、子どものように無邪気だった。タバコの匂いがしみついた長いコートを着て、長身の体を前のめりにして、ゆらりと歩いた。女がそのコートの腕に抱かれるのに、時間はかからなかった。頑強な毛深い体からは、酒と汗と油の匂いがした。
男は貪るように女を求めた。暗闇の中、唇を合わせた刹那、女はそっと目を開けて、男の瞳の奥を盗み見た。そこには、黒い太陽と、遠い異国の砂漠を思わせるサンドストームがあった。きつくまぶたを閉じ、男の首筋にしがみついた。煙たい動物の脂の匂いがした。男の目は何も見ていない、女は知った。野獣の唸りのような、激しい息遣いをどこか遠くに聴きながら、ほおに一筋の涙が流れるのを感じた。それは、砂漠の夜を駆ける流れ星のように、静かで孤独な一瞬だった。
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シェルギーは、2005年、クリストファー・シェルドレイクの調香によって生まれたオリエンタル・スパイシーノートの香りだ。セルジュ・ルタンスの公式サイトでは、「モロッコの砂漠の熱風」と紹介されている。モロッコの砂漠と言えば、南部に広がる広大なサハラ砂漠が思い浮かぶ。その全てを焼き尽くし、砂塵に帰すかのような強烈なかの地の気温は、ハイシーズンには日中、摂氏40〜50度になるという。そんなサハラからモロッコに向かって吹き付ける乾いた熱風を「シェルギ」と呼んでいるそうだ。
シェルギーのトップは、濃厚なハーバル&バルサミックだ。コーラをホットにして酸味と甘みを際立たせつつ、薬草や樹脂を混ぜたような複雑なオープニング。一瞬、ゲランのシャリマーを思わせる雰囲気がある。ベースの樹脂っぽさに、似た系統を感じる。だが、シャリマーよりもずっと暗く、そして、人を寄せ付けないようなじっとりとした野性的な清涼感が強いように思う。
トップからミドルへの境界はあいまいだ。すぐに、タバコリーフの茶色いスモーキーな味わいと、乾燥した香ばしい干し草様ハーブの香りに移ろってゆく。このあたりは洋酒っぽくもあり、レザーっぽくも感じられるところかも知れない。間違っても火をつけたタバコの香りではない。紅茶なみに深くローストされたタバコリーフの香りは、ダークに心をくすぐる。
このミドルのスパイシーな甘苦さは、杏仁豆腐の香りを煮詰めたようにも感じられ、好きな人にはたまらない香りだ。苦く辛く、熟成されたタバコの葉の香りと、ローズと干し草のミックスが心地よい。それらがアイリスの暗さに抑制され、むわりと拡散力することなく、かなりストイックに香り立つ印象。強く、濃く、スイートでスパイシー、けれど低いところですっきりと暗い香りが流れ続けているような雰囲気。
液体色のこげ茶色とも紫とも言い切れない複雑な色合いもいい。ダークブラウンをタバコと樹脂と干し草と見るなら、そこにアイリスのパープルを混ぜたようにも思える。ルタンスの香りには濃い色が付けられている物が多いが、そこにも香りのアイデンティティーが感じられる。衣服等への着色には注意が必要だとしても。
そしてラスト。シェルギーの香りの変化はトップからずっと好ましいが、このラストはことのほか好きだ。暗く湿ったミドルが、干し草とサンダルウッドの乾いた香ばしさにスライドしていきつつ、次第に甘い蜜の香りが絡んできて、ゆったりとした極上のリラグゼーションを感じさせてくれる。それは、熱く痛みさえ伴う風をやり過ごし、静かに訪れた宵闇の中、ステップの大地の向こうに、星がまたたき始めたかのような静寂とあたたかさのよう。一日の喧騒の終焉を告げるトワイライト。空を斜めによぎって、すっと消えた流星に感じた切なさ。
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ある日、そうなることが当たり前だったかのように、男は忽然と姿を消した。女は、その深く暗く、よどんだ香りの行方を虚空に探した。風は凪いでいた。男はまた、砂埃の中を歩いているのだろう。コートのすそをはためかせ、長身の体をゆらりと前のめりにしながら。誰も知らぬ遠くの町で。
あの日、男の目には何も映っていなかった。そこに誰も住んではいなかった。ただ、吹きすさび、荒れ狂い、砂塵を巻き上げ、どこまでも荒涼としていた。
男は、瞳の中に一陣の風だけを連れていた。
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